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 お金 進路

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中学に入ったら朝夕の新聞配達や暮れの餅の配達など、やれることは何でもやって母の稼ぎの足しにした。伊勢湾台風が吹き荒れる日も、トタン屋根が空中を舞う中、新聞は配った。

この頃の誠実な働きは、自分が独立したときの礎になっている。少しでも早い時間で配達を終える工夫は、合理的な仕事の工夫として同じく礎になっている。

中学三年、担任の斉藤先生は貧乏だから高等学校を薦めなかった。京都の松下電器が働きながら夜学の高校へ行かしてくれて寮生活もできる制度を持っていたので先生に連れられて就職試験に行った。

斉藤先生は気の毒そうな顔をして不採用のはがきを見せてくれた。中卒を応募している京都の会社を何社か回ったが、全部だめだった。あとから母に聞いたのだが、父が災いしていたらしい。

教頭先生に呼ばれた。高等学校へ入って奨学金制度の試験に合格すれば、お金を借りて勉強できるがやってみるかと云われた。それからというもの、一生懸命勉強した。

当時、綾部高校機械科は優秀な就職ができる程度の高い学校と聞き、そこを受験して合格した。すぐさま奨学金の試験も合格して、高等学校の寮に住んだ。

夏休みはサッカーの練習の前後に綾部駅でアイスクリームと缶ビールの立ち売りのバイトをした。一生懸命売るからいつも売り上げのトップだった。本職の駅弁売りのおっちゃんによく褒められた。

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