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 お金 就職

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もともと大学は行けるお金もなかったし、就職を早くして家計を助け、奨学金も返すんだと思っていたから、すんなりと京都の機械メーカーに入った。
風呂敷に包んだ下着と学生服。 それに下宿代の6千円と少しの小遣い。それが世に出たときの全財産だった。

奨学金は五年で全部返した。給料も悪くなかったから、弟の勉強道具やクラブ活動の用品などを買って舞鶴へ送った。

その会社を辞めたのが45歳の時だ。その会社で骨を埋めるつもりで、会社にとって有益になる新事業の提案を何年もかけて訴えたが、その事業はやらないと役員会で決定された。

役員の中で一人だけ理解し応援してくれる人がいた。それが現在の経済界で活躍する長瀬朋彦だ。

新事業に打ち込める望みもなくし、ただ会社へ通ううちに京都駅で涙する自分がいた。「建三、45歳にしてこのままやりがいのない勤めを続けるのか」と自問した。

そして、独立してその新事業を自分でやろうと決めたのです。

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