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 家族 親兄弟

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母親一人で育てられた三人の兄弟は幼少の頃は仲良しで一緒に遊んだ。
高校に通っているときも年子の兄弟三人は仲が良く、三人とも長男の私に見習ってサッカーをやっていた。就職してからも帰郷すると三人でボールを蹴ったものだ。

おかしくなったのは三人がそれぞれ家庭をもってから。最初に結婚した私は妻が一人っ子だから兄弟に相談した。一人っ子だから妻の母の面倒を見なければならないので、実の母も同居はできないから弟に面倒を見て欲しいと言った。

まだ結婚していない弟二人はこころよく引き受けるから心配せずに同居してくれと云ってくれて正直嬉しかった。だから結婚して新婚旅行から帰ったら妻の母と三人暮らしが始まった。

弟二人も次々と結婚しそれぞれの妻と二人暮らしで、実の母はまだ働けるから舞鶴で飲食店を引き続きやっていた。

母が六十を過ぎた頃、体が重いから飲食店をやめたいと言い出したのをきっかけに兄弟三人が集まって、母の処遇を話し合った。

真ん中の弟には二人の子供がいてとても母と暮らすことはできないと、ガンとして受入を拒んだ。下の弟には子供ができず母が入れる部屋もあるので弟の意志で受け入れると云ってくれた。

母の引っ越しも下の弟と私の家族で行った。真ん中の弟は手伝いもしないし引っ越しにかかる費用も出さないと云う。殺生な奴だと思った。

母は日雇いの仕事やゴルフ場の賄いの仕事にしたりしていたが、足が痛み出して三年ほどで働くことができなくなった。自ずと弟の妻と一日中同じ屋根の下で暮らすことになる。そうなると元々赤の他人の傷が目立ちだして、とうとうどちらも嫌だと言い出した。よくある話です。

三人で相談をと連絡するが、真ん中の弟はガンとして話し合いにすら出ません。もちろん引き取りも拒みます。

仕方なく私が引き取ることにしたのですが、大津の自宅でいったんは一緒に暮らそうかと思ったのですが、どう考えても両方の母親の馬が合うわけにはいかないと思って、京都に買ってあったワンルームマンションを使うことにしました。

そのマンションは事業を興したときに事務所として使っていて、手狭になって近くの事務所に移ったから空き家になっていたのです。それでもそこに母を入れるには十日くらいは準備にかかるのはあたりまえなのに、下の弟の妻は、毎日催促の電話を入れてきて、明日なのかあさってなのかと催促ばかりしてきます。もう、うんざりでした。

こうして母はマンションの一人暮らしに入ったのですが、私の事務所が歩いて5分ですから事務所の掃除などで顔を合わせ話もできるようにしました。マンションの近所つきあいも数人できて、カラオケに行ったり食事会などもして、それなりに楽しんでいました。

私の妻も週に何日かはマンションを訪れ、細々とした手伝いや話し相手になっていましたし、事務所の女性役員も妻より頻繁にマンションを訪れて相手をしてくれ、母も一人の寂しさを味わうことなく6年ほど暮らしは続きました。

ある日母の首に膨らみが見つかったので京都病院で診察を受けるとリンパの癌と診断され、調べると腸にも転移していることが分かりました。先生と相談して本人告知はせずに手術をしました。

手術室に入るときに「けんちゃん、怖い」と言った母が忘れられません。がんばりや、頑張って治ったら三回目の海外旅行に一緒に行こうと励ましました。

術後、先生が「転移した癌の切除を諦めました、大きすぎます」といわれてもはやこれまでかと誰しも思います。でも、奇跡が起きました。制癌剤がどんどん効いて癌が消滅したのです。リンパのほうも良くなったのです。退院時はほんとに良かったと満面の笑顔でした。

数ヶ月後、約束の海外旅行は娘や妻や妻の母も交えてマレーシアへの豪華旅行です。このときに母が肥えすぎていて歩行が怪しいことに気付きました。

案の定、マンションのドアのところで転倒し大腿骨骨折で元の病院に入院です。老人がこうなると結末は見えていて三ヶ月で病院は追い出され、京都北区の老人施設でリハビリに入りましたが二年経っても歩行はできなくて、結局夜半に食物を喉に詰まらせて死にました。

棺に入った我が母を見て、私は生涯流したことのない熱い熱い涙を流しました。母に「何も心配なく天国で遊びなさい」と言い残したのです。

母の葬儀を終え、弟二人が言い出したことが、「財産はどれだけ残したのか、きっちりと知りたい」でした。当然すべての通帳などを見せました。そして弟二人は
「均等に割ってくれ」と

その通りに分けて、私はこの弟たちとは付き合いたくないと思いました。資産だけが気になってる人間が。

それ以来、年賀状を出すのもやめました。一切の行き来は途絶えました。
恥ずかしい話ですが、これが私の親兄弟です。

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