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 友人 高校時代まで

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小学校は西舞鶴の中筋小学校、仲良しだったのは琴寄君。私より随分背が高く体もがっしりしていた。彼の家は私の家から歩いて10分の所にあって、よく遊びに行った。五年生の春、お父さんが電電公社に勤めていて千葉へ転勤になった。それっきり音信は途絶えたが歳をとっても思い出す。

中学では 中学二年生のおいらが通学の友とした散髪屋の息子、細川。 野郎は器用でタップダンスを覚えるくらい朝飯前。一方、おいらも夏休みの宿題を担任が「数学やで」と言うのを、なにくわぬ顔で木の本棚を作った無愛想で器用なクリクリ坊主だった。

あの時分は何をしても可笑しかったし楽しかった。二人が通う道すがらには高野川に架かる長さ12mほどの橋がある。

ある日、細川が橋のかかりで「ブリッ」と屁をやった。それを聞いたおいらが正面を向いたまま「プリッ」と応えた。それを聞いた細川がこっちを見ながら「プッ」とやった。笑いをこらえて私が搾り出したのが「ブチュッ」と濁った。そこで二人は笑いこけて、橋の上でのたうち回った。

あくる日の橋のかかり、今度はおいらが「プッ」と口火を切った。すかさず細川が「ブリュッ」とやる。笑いをこらえて「ぶり、ばり、ぴ、ぽ、ぱ」だ。どうやって屁を貯めたか記憶にないが橋に合わせて出せるのだ。

三日も続くと教室でうわさになって、それを見たい悪ガキ連中がぞろぞろと橋まで付いてくる。屁こき合戦が始まると、我も我もと「ぶり、ばり、ぴ、ぽ、ぱ」が始まる。そりゃ、五六人が集団で歩きながら屁をこいて、その後橋の上で笑いこけるもんだから、傍から見れば奇異だったんでしょう。

とうとう近所のお婆が教頭に告げ口しよって、細川とおいらが主犯として廊下に立たされたのさ。立ってる間にセンコウがおらんようになったら「ブリッ」..、..「ピポッ」と会話を楽しんだのは云うまでもない。

細川と出刃亀を生まれて初めてやった。高野川の屁の橋の袂に綺麗なお母さんと綺麗な娘さんが暮らす家がある。その家の風呂場が道路に面していて木戸に隙間ができていてのぞけるのだ。

細川と交代でのぞくのだが一人は見張り。捕まったらえらいことやからね。
豊満なお母さんのオッパイも、少ししか膨らんでない娘さんのオッパイも見た。タオルを股のあいだに入れてあそこを洗う姿も見た。

細川、ありがとう。でも中学出たら違う高校でそれっきりだよな。

高校に入ってすぐに塩見君と仲良くなった。彼と私は最初に体操部に入ったのだが面白くないので相談してサッカー部に鞍替えした。サッカー部の担任が、ガマ先生。気さくな保健体育の先生で男子高校と言うこともあるのだが性交のしかたとか、ひとりエッチのしかたを授業でやってくれるから欠席する奴がいない。

ガマ人気はサッカー部にも及んで同級生が10人入った。練習はきついから腹が減る。校門の横にお婆ちゃん一人で営む商店があって、部活の後は皆がたむろして飲み食いをした。

松本が万引きをして鞄に入れた。それを見た井上も鞄に入れた。いっとくが私はしなかった。但し寮の近くのスーパーでビスケットを一回だけ万引きしたことがある。

サッカー部の同級生10人は個性の強い奴ばっかり。芦谷は勤勉でサッカーも上手い、伊藤も賢くて朗らかでタフ、井上は普段はおとなしいが試合では強烈に走る、塩見将はキーパーであかんたれ、塩見勇はおとなしく試合では強烈な技を見せる、松本久は口先人間で試合でもミスばっか、松本忍はバカでかい声でいつも話す、渡辺がキャプテンで皆のまとめ役、藤田はからがでかいが何をやっても駄目なのに目立ちたがり。

とまあ、卒業しても何回も集まって宴会もする。最近では六十歳記念と称して集まっている。幾つになっても高校生のままだよ。

楽しかったなぁ。

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