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 体の運動 ゴルフ・テニス

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結婚前にゴルフを始めた。何故始めたのか動機は覚えていない。

会社の前に小さな小さな練習場ができて、昼飯を会社でかき込んで毎日通った。その練習場には伊藤忠を退職された伊藤さんという上品な老人が経営者兼指導員としておられ、早速私の面倒を見ててくれた。

一回の練習で沢山の玉を打つよりも、毎日50球を打っつほうが上達は早いと教えられ、毎日昼飯のあとそこへ通った。当時は自分の担当課長のクラブを借りて練習していた。伊藤さんは7番アイアンだけを使うようにと。

教え方が上手いのか、私に素質があったのか、見る見る上達して始めてから一ヶ月だというのにコースへ行く話が持ち上がった。会社に出入りしている写真屋の主人と会社の専務の息子。

伊藤さんはコースへ行っても7番アイアンだけで回れと教えてくれた。但しサンドウェッジとパターの練習は少しやって出かけた。

生まれて初めてのゴルフコースが琵琶湖大橋GC。1番のティーショットが回ってきた。周りには順番待ちの人が10人は居ただろう。緊張で足が地に着かない気持ちで打った。瞬間、「カッ、カーーン」と二度の音がして、観衆から笑い声が上がった。

一瞬、何が起きたのか分からずにいると仲間がグリーンと反対方向を指さしている。ソケットした球がティーマーカーに当たって後ろへ飛んだのだ。私の顔面は紅潮し、恥ずかしさで耐えられなかった。ボールを拾って打ち直さずに前に歩き出したのです。

そんな恥ずかしいデビューも自分のクラブを買って半年後には80台で回るようになり、一年後にはアンダーパーが出るようになっていた。写真屋の仲間のコンペが北神戸CCであると誘われて、その仲間のコンペは初めてだったが参加した。結果は初めてのコースなのに68で回ってハンディーなしで優勝したのです。

その後、写真屋や専務の息子、その二人の友人達と激しくコースに行くようになった。ゴルフのニギリはどんどんエスカレートし、一日で十万以上の金が動くようにまでなった。当時平社員で月給が20万もない身の私に比べて、写真屋も専務の息子も裕福だからお構いなしだ。

勝つことが多かったが、負けると骨に染みる思いをした。これはもはやゴルフでなくギャンブルだと気がついて、始めてから四年できっぱりとやめた。ラージボールに変わるときでした。

会社で軟式テニス部ができたのでナイターに行ってみた。面白い。けっこう体も使う。半年後にクラブで投票があって当時はやり出した硬式テニスに移行する投票。結果は硬式になった。

公営のコートを申し込んで、休日やナイターで練習した。合宿も楽しかった。私はメキメキ上達してトップスピンをかけられるまでになっていた。だが不倫がどんどん深い付き合いになっていき、無意識にテニスから遠ざかっていて、そのままやらないようになった。テニスも四年。 

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