--------------------------------------------------------------------
 入院 大事故

--------------------------------------------------------------------
31歳の時、木工のバイトでお金に余裕が出てきたので、友人の紹介でセドリックのハードトップの中古を買った。それはそれは当時としては人も羨む装備で優雅のひと言だった。不倫相手のMちゃんと日本海へ優雅に走ったものだ。

不倫にお金もいるから会社が終わると木工のアルバイトを深夜までしていた。休日は不倫で遊びに出かけ、平日は深夜までバイトで深刻な寝不足の日々を過ごしていた。

ある日、芳岡が今夜はバイトをやめて飲みに行こうということになって、深夜まではしご酒をしたあとセドリックで自宅へ向かったとき、工事中の中央分離壁の先端に激突した。居眠り運転です。

気がついたら沢山の車が停まって「煙草を吸うなぁ〜、ガソリンが漏れとるぞ〜」という誰かの声が聞こえた。そのうちに救急車が来て担架に乗せられた。「ありがとうございます」と言ったのを覚えているがそこから記憶は途絶えた。

東山の今はない大和病院のICU室に入っていた。意識が戻ったのが翌朝で大量の出血で頭がふらふらして起きあがる力も湧かなかった。その時点では止血だけの処置で二百針以上の縫合だと聞いた。縫合箇所は全身に渡っていた。レントゲンを撮ると右足首の複雑骨折。

一番に車が心配になり、弟に聞くと全く使える状態でないというが、納得しないから写真を撮ってきてくれた。写真を撮りに行った事故処理会社の人は、「死亡事故やろ」と言ったらしい。写真を見て自分でもよく生きていたと思った。

運転席側の側面は前のバンパーから後ろのバンパーまで何ひとつなく、車体はグニャグニャに曲がっている。生きているのが奇跡というのが伝わってきた。事故時の衣服がナイロン袋に入れて渡されたとき、血塗られていないところがない服を見てぞっとした。

一番の幸運は右目の1センチ上に長さ5センチの裂傷がある。これが1センチ下だったら完全に右目を失明していたのです。
見舞いに来た友人が「神から二度目の人生をもらったと思え」と言われたのがずっと耳に残っている。

入院での治療で大量に投与されたのが副腎皮質ホルモンです。当時は副作用など話題もなく万能薬として大量に投与されたのです。これが後に災いします。

一ヶ月半後に退院して一番に筋肉が衰えているのが分かったので、京都御所でトレーニングに励んだ。その時に無知だった私はウサギ跳びをしたのです。せっかく上手く接合できた足首の骨折部にはボルトが入っていましたが、ウサギ跳びで曲がってしまい一生ボルトが抜けなくなったのです。今でも入ったまま。

この事故で懲りて飲酒運転はやめたかと云いますと、続きました。二度目の事故を起こさなかったのも不思議なくらいです。でも、今は絶対にしません。神は三度も人生をくれませんよ。
--------------------------------------------------------------------

←前へ    私の履歴書 目次へ↑    次へ→