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 入院 卵巣摘出

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2005年6月9日に通信簿に書いた内容そのままです。

一昨日の夜、郵便配達をしているひとり娘と夫が病院での検査結果を知らせに我が家へ来た。10cmほどの卵巣の腫瘍を先週にCT検査をしたが、再度MRI検査を指示されたからで、その結果、癌の可能性が高い事が判明したと。

落ち込んだ娘を見ていると可愛そうです。来週、開腹摘出手術で癌かどうかが確定し、癌であればその治療に入るということです。「気をしっかりもって、病気と真正面から闘おう」「お父さんも精一杯快復に努める協力を惜しまないよ」と娘を励まして送り出したが、娘は今30歳。ひょっとしたら私より短い人生で終わるかもしれないと思うと、涙します。

「明日があるという保証は何もない」と何時か書きましたが、よもや娘が癌とは思いませんでした。今、生きているこの瞬間を一歩一歩しっかりと生きて、生きてる限り豊かな人生にしていこうと、あらためて思います。
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ツールドフランス五連覇中のアームストロングが設立した癌撲滅基金。昨年、それに寄進。いただいたリストバンドを引き出しから取り出した。完治まで身につける。癌であってもアームストロングのような完治を願い。癌に負けていられるか!

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2005年6月14日に通信簿に書いた内容そのままです。

皆様からの暖かい励ましのお言葉。ありがとうございます。昨日の午後、開腹手術でやはり癌でした。左卵巣に貯まった液体を抽出後、卵巣を摘出し、網のような脂肪組織の大網も摘出されました。術後に先生から実物を見てのご説明があり、「今のところこの卵巣以外への肉眼による転移は認められませんが、癌細胞の検査結果で第何期か決まり、全身制癌治療を行うか部分制癌治療になるかが決まります」「制癌剤を注入しましたから気分が悪くなると思います」「チューブは治療のために残してあります」。

「右の卵巣は残せましたから、子供を産むことはできます。もし右に癌が発生しても今なら子供を生んでから治療することも可能です」。その言葉を聞いて、緊張していた気持ちが一気に緩んでいくのを自覚した。

手術の直前、娘が乗る寝台を押して手術室に入る瞬間、私の目をじっと見て無言で「助けて」と訴えかけるあの娘の眼差しを、生涯忘れません。思えば、私も癌の可能性が高いと聞いてからの十日間、不安と苦痛の中で何も手につかない状態だった。それに比べると本人の不安や苦痛は想像の域を超えると思います。

こんな苦痛から解放されたい。その願いは自分や娘に留まらず、人々皆が解放されるべきだとつくづく思った。その思いはあのアームストロングと同じだと思います。黄色いリストバンドを見て、願いとともに共感を感じるように変わりました。

通信簿の読者に三人のお医者様がいらっしゃいます。毎日、このような苦痛を持った方々を相手のお仕事が、如何にたいへんかを思い知らされました。先生方、どうか頑張ってください。

苦痛の十日の中で、日曜は一人自転車で琵琶湖を全力で一周しました。走るのは「少しでも気を健康な状態に戻す」と決め、走りながら何度も繰り返しそれを確認した。「舞ちゃん、頑張ろう」と呼びかけ、「喝」と声を出して自分に気合いを入れて走った。幾分でも気が前向きに変わり、勇気が湧いたことか。

今日から再発の不安の生活が始まりますが、しっかりと前を向き、力を合わせて生きていきます。


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2005年6月23日に通信簿に書いた内容そのままです。

昨日、先生に呼ばれて摘出した組織の検査結果を聞きました。驚いたことに悪性腫瘍ではないとのこと。だけど良性腫瘍でもなく中間腫瘍とのことです。私と同年代の先生は数多くの手術経験をお持ちだろうし、術後の説明で素人の私がが見ても組織に異変があるのは直ぐに分かったのですから、先生は検査結果を疑ったそうで、直ぐに確認の行動をとられたそうです。

国立癌センターの卵巣癌の記述にも、85%が良性で10%が悪性、残りの5%は中間と書いてあり、それに該当したのです。二度目の抗ガン剤投与を迷ったそうですが、投与せずにいくと決められました。体質が腫瘍を生み出すのだから油断はできないから定期的に検査をするといわれます。娘も私も頭髪が抜ける辛くて苦しい時間を承知していたものですから、嬉しいという気が湧く前に、拍子が抜けたというのが正直なところです。

時間が経つにつれ、嬉しさがこみ上げてきます。奇跡のような現実。これも皆さんの願いが届いたと信じます。ありがとうございました。実際に願掛けに走ってくれた方。走らないけど願いをかけてくれた方。声にも出さないけど思いを寄せてくださった方。ほんとうに有り難うございました。

昨日は嬉しさ余って深酒をし、大遅刻の相変わらずの馬鹿ケンです。みなさん、ご心配をおかけしてごめんなさい。そしてもう一度ありがとう。
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2005年7月8日に通信簿に書いた内容そのままです。

退院して落ち着きを取り戻したので、皆様からの全てのメールと掲示板の書き込みを六冊にまとめ、昨日、娘に送りました。読んだあと、皆様への手紙が次のように来ましたので、ここに掲載します。

皆様
初めて婦人科の門を叩き、思わぬ診断を下されてから丸一ヶ月が過ぎました。本当に長い一月でした。

「癌の可能性が高い」と言われたことよりも、「開腹した結果によっては、子宮ともう一方の卵巣も摘出します」、という言葉に心が乱れました。術後、麻酔から覚めたとき、そんな結果になっていたら‥‥。悪い方へ悪い方へ考え、泣き続けて手術の日を迎えました。

あまり優しい言葉など発しない父と母が、「できることなら変わってやりたい‥‥」と。その愛情で気をしっかり持つことができました。家族、友人、職場の上司・同僚‥‥、たくさんの方に励まされ支えていただきました。

そして、通信簿の皆さん、マルコの皆さんの温かい励ましに、言葉で言い表せないほど感動しました。父から見せてもらったたくさんのメッセージをプリントアウトし、何度も何度も読み返し、その度に涙が溢れました。願掛けをしていただいたり、お守りを送っていただいたり、アームストロングの本を届けて下さったり、励ましのメッセージを下さったり‥‥。感謝の気持ちと感動を上手く伝えられませんが、本当に本当にありがとうございました。

最終的な結果は嬉しいものでした。ですが、不透明であり、今後に不安を感じないわけではありません。しかし、今までにないほど穏やかな心で生活しています。これから、毎日の生活にあふれている小さな幸せを大切にし、頑張って、笑顔で生きていこうと思います。

こんな風に思えるのも、皆さんの温かい気持ちのおかげです。ありがとうございました。最後に、お父さんお母さん、ありがとう。
                              秋保舞

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2006年12月15日に通信簿に書いた内容そのままです。


娘の舞が子宮癌騒ぎで片方を手術で切除したのが一年半前。皆様にはたいへんな励ましをいただき、有り難うございました。その後、お医者さんから早く妊娠するよう勧められていたのですが.....。

日曜に娘から奈良を走る私に電話が入って、帰る時刻を聞かれて...。帰ると夫婦で笑顔を見せている。「できました、子供が」と朗報です。

五体満足な姿を見るまでは安心できませんが、取り敢えず前に進みました。重ねて、皆様、有り難うございました。

朗報の影に悩みあり。夫婦共稼ぎでないと生活できない若夫婦。産後も郵政公社は辞められない。カミサンがパートを辞めて日中の育児。となると二人での自転車旅が.....。一人旅になるのかなぁ。

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2007年08月09日に通信簿に書いた内容そのままです。

ちょうどカミサンのパートが昨日から夏休み。「昼前に痛み出したから車で滋賀医大まで一緒に行って、お腹をさすっている」と電話が入ったのが午後二時。次が夕刻五時の電話。「四時十分に生まれました。3100gの女の子.....」

職場で缶ビールを開けまして、ひとり乾杯が始まりまして、孫の顔を見に行くのは朝にしようと思いはじめまして.....。そうだ、帰っても飯は食えない.......そうだ、ひとり外食しよう.......。

思えば娘が生まれたときも、カミサンは痛み出したから一人バスで病院に行ったらしい。無事生まれたと婆ちゃんから会社に電話が入った夜も病院へは行かずに飲み屋でひとり呑んだんだ。....翌朝に病院へ行ったんだよな。

変わってないんだなぁ、かとけん性分。

南草津の駅前で居酒屋に向かって歩いていると、あの方が仁王立ち。そのまま車で滋賀医大へ連行されまして........。

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と云うとでシンマイ爺ちゃんの誕生であります。じゃなかった孫の誕生です。孫はあまり話題に出ないかもしれませんが、以後よろしくお付き合いのほどを。

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思えば2年前の今頃。娘は卵巣癌の疑いで片方の卵巣を摘出したのです。術後、抗ガン剤の投与で苦しむ娘を見て、代わってやりたいと思いました。

このとき、ジャンキーさんの呼びかけで願掛けサイクリングが始まって、沢山の方々が走ってくれました。中でも梅ちゃんは美ヶ原のレースでメットにテープを貼って走ってくれました。これを見て涙したのも先日のようです。

走れなかった沢山の方々からも、心からの応援をいただきました。皆さん、ほんとうに有り難うございました。

おかげさまで片方の卵巣で子供ができ、無事出産を終えました。皆様のご恩は生涯忘れません。私も、娘も、カミサンも。

もう一度、有り難うございました。

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